「つゆしゃぶ ちりり」その歩みを振り返る

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ひょうたんやの「つゆしゃぶ ちりり」が誕生したのは今から約20年前の2003年。
当時は、豚肉メインの鍋料理ではなく、会席料理や海鮮鍋が主流で毎日が満席状態であった。
「つゆしゃぶ ちりり」の誕生は、ある日の厨房での出来事がきっかけであった。
日本料理に通常使うつゆは、三段仕込みなのだが、既に仕込んであったつゆをその日は、間違えて再仕込みしてしまった。そのつゆは濃厚すぎて、吸い物や煮炊き物には使えないものだった。
しかし、つけつゆにしたらどうかと、ハモに使ってみるとびっくりするほどの美味しさで、この美味しいつゆを何とか活かせないかと、和食職人の技と遊び心も手伝って「五段仕込みのつゆ」という新境地へと挑戦していった。

そこで、このつゆに合う食材として当時滋賀県が力を入れていた県内産豚肉に白羽の矢が立った。
「ちりり」という名前は、0.8mmという通常の倍以上に薄い豚肉を湯に通すことで脂が湯に溶け出し、肉がちりちりっと縮んで、まるで白い花が咲くように美しく見えたことから「ちりり」の名前の由来となっている。
開発当時は、本格的日本料理の伝統から外れるちりりは、メニューには載っておらず、裏メニューとして、ご贔屓のお客様だけに提供するものであった。
が、その「美味しい」との噂はすぐに広まり、食べたいとの声が続出した。その声に応えるため、2003年の10月には、京都の烏丸仏光寺通にちりり専門旗艦店京都つゆしゃぶ「CHIRIRI」をオープンした。
その後ひょうたんやの「つゆしゃぶ ちりり」は大ヒットするのである。それは2004年の出来事がきっかけであった。
当時、豚肉は家庭料理に使う具材のイメ-ジで当時お店でわざわざ食べるものでは無いと思われ、近江牛のしゃぶしゃぶをオ-ダ-される方も多かった。
そんな中、2004年秋に牛海綿状脳症いわゆるBSE発症のニュ-スが報じられた。
和牛を使った焼肉店、ステ-キ店、ファミリーレストランに行っていたお客様が、被害の出ていない豚肉に移行され、そのタイミングで魅力に気づいていなかった方たちもひょうたんやの「つゆしゃぶ ちりり」の魅力に気づかれ、大ヒットとなっていった。
そこから、口コミで「美味しい!!」との噂がさらに広がり、多くのメディアで取り上げられることや、催事にも呼ばれることが増えていった。特にブランドの通り門東京田園調布にございます二子玉川高島屋の催事「味百選」出店では「ちりり」の紹介に多くの紙面が割かれ、主役級でご紹介いただいた。

そして現在、IH調理器の発達など環境の変化もあり、冬でも夏でも楽しんでもらえるようになり、誕生から20年以上経った今でも皆様に愛され続け「つゆしゃぶ ちりり」をご提供できている。
加えて、通販でご自宅で楽しんでもらうこともできている。

これからの「つゆしゃぶ ちりり」は、すき焼き、しゃぶしゃぶと同じく日本中の人が普段着感覚で、みそ汁の様にで食べて頂ける歴史に残る食文化に「つゆしゃぶ」を発展させ、元来のポン酢や胡麻たれでなく1年を通して「和食の五段仕込みのつゆ」で食す日本料理のしゃぶしゃぶとして日本全国はもちろん、世界にも広めて行きたい。
ぜひ皆様にも自慢の「つゆしゃぶ ちりり」をご賞味いただき、ファンになっていただければと願っております。

中嶋和義

中嶋和義

創業75年の和食経営者。東京・京都・大阪・滋賀で店舗設営から経営を行ってきた。 店舗設営や器選び、季節に合う食材選びなど多岐にわたる「和食コーディネーター」 自ら包丁を握る経験と、経営者の目線で新時代の和食を展開する。