日本最古のブランド和牛、近江牛の歴史と今
肉食がタブーだった江戸時代、
彦根藩から献上された養生薬は牛肉だった
日本最古のブランド和牛である近江牛。その歴史をさかのぼれば1687年に、近江国(滋賀県)の彦根藩で味噌漬けにされた彦根牛――当時「近江牛」という名前ではありませんでした――を「反本丸(へんぽんがん)」という名前の養生薬として商品化し、彦根藩主・井伊家から江戸の将軍や徳川御三家に献上されました。そこから全国に広まったといわれています。
ですが、当時は肉食がタブー視されていた江戸時代。殺生を忌み嫌う仏教の影響で、長らく肉食が禁止されていた時代です。ですがそんな中、それでも薬に姿を変えて届けられていたのが近江牛のルーツとなる牛肉だといわれています。
「反本丸」が開発されたきっかけは、当時彦根藩で、武具や馬具に使用する牛皮を調達する際に出る牛肉を、どうにかして食べられないかと考えられたこと。それが今では滋賀県の郷土料理の1つとされている、近江牛の味噌漬けだそうです。 ところで当時、彦根藩の区域であった現在の愛東・湖東・能登川地区でも、農耕用として牛が飼育されていたようです。もしかすると、この辺りの牛も近江牛の先祖に関係しているのかも知れません。そして、近江牛が全国的に知られるようになったのは、なんとそこからさらに1,200年ほど進んだ明治時代。「牛鍋」が文明開花の象徴となりました。
ブランド化は2000年台、その歴史は400年。
明治時代になると途端に物流網が発達したおかげで、近江牛は全国的に知られるようになりました。ですが、この時代に滋賀県から東京へ輸送された近江牛は、「神戸牛」として扱われていたのをご存知ですか?
鉄道ができる前まで、近江牛は神戸港を経て東京へと出荷されていました。出荷港によってブランド名が決まる時代だったので「神戸港=神戸牛」となったというわけです。だから、神戸牛の方が先に全国区になったといわれています。しばらく陸路や海路から東京へ運ばれていましたが、明治22年に東海道本線が開通すると、近江八幡駅から貨物での輸送が始まり、近江牛の名前で出荷されるようになりました。
「近江牛」としてのブランドが定着するのは、それからさらに100年も後のこと。「近江牛」をブランド化する動きは1951年にはあり、日本で初めての「肉牛のブランド化」を目指していましたが、その後は畜産業者や販売店が各々ブランディングに取り組み、2005年に近江牛の定義が正式にルール化され、商標登記されたのは2007年でした。
ブランド化は2000年台ですが、その歴史は400年。そのユニークなストーリーを知ると、さらに近江牛の特別感を感じていただけると思います。
【参考】
https://www.city.higashiomi.shiga.jp/0000008539.html
https://nikuzou.jp/blog/oumi_beef/
https://edo-g.com/blog/2016/02/nikushoku.html
https://www.city.higashiomi.shiga.jp/0000008539.html